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物申す

2016/01/16

限りある時間

切迫早産で引きこもってから、暇すぎてテレビばっか見てました。
入院中なんて、やることないからテレビばっか。

この間に、何人もの子どもたちが命を落としたと テレビが伝えました。
道に捨てられた子、
トイレに捨てられた子、
一度も抱いてもらえなかった子、
心に体に傷を負った子…

子どもは親を選んで生まれてくる という人もいるけれど、
命を落とした彼らに心を寄せる時、こんな運命を背負うために生まれてきたというのか と、本当にやるせない気持ちになります。

子どもを育てるということは、きれいごとじゃすまないこともあるでしょう。
どんなに歯を食いしばったって、子どもへの愛情が揺らぐ瞬間もある。
…そう感じたことがない人って、色々な条件が良い状況で子育てができている人なんじゃないだろうか。

でも、人がひとり死ぬかもしれない状況って、尋常じゃない。
そんなことが、テレビを通じてお茶の間に届いて、あぁまたか、って。

子どもを産んで育てる ということを、個人の責任・問題と世の中が認識している内は、こうやって死んでいく子どもがいなくならないと思っています。
(私は、子育てと介護の問題は根っこが同じだと思っているのですが、これはまたそのうち)

子どもは地球の宝。
みんなが親より先に命を落とすことなく大人になれる世の中になりますように。

2011/07/09

情報ってなんだろ

あたしたちが、何かを決める時、ほとんどの人は情報収集をするだろう。

例えば、テレビを買う時…性能や価格や口コミなどの情報収集をして、どの商品にするか決めるでしょう。
同時に、自分のライフスタイルや、予算や、テレビに求めている機能など、自分とテレビの向き合い方を 振り返っていくと思うのです。
そうして どんなテレビを買うことにするのか 決めていくと思うのです。

でも、お店にテレビを買いに行った時、店員さんが ある種の信念を持っていて、あたしが調べた情報と全く異なることを力説し始めたらどうでしょう。
A社のテレビを買うつもりだったけど、B社のを勧められた というように。

途端に、テレビについて調べた情報が 間違ったものだったのか と考えるかもしれない。
自分が決めたことに、自信が持てなくなって、店員さんが勧めたテレビを買うかもしれない。
若しくは、何を言われたとしても、自分が決めたテレビを買うかもしれない。

いずれにしても…
結果として、あたしのところにテレビは届き、快適に地デジが見られるわけですが。
あたしの調べた情報や 店員が力説した情報が『正しかったのかどうか』 ということは、わからないままなのです。

「A社の方がエコである」
「B社は業界一 省エネ」

わからなかったから、調べようと思っても、それを正しいという情報もあるし、間違っているという情報もある。
相反する情報が、同時に存在する。
判断をしようにも、わからないから 決められない。

先日、MSN産経ニュースに、社会学者 加藤秀俊氏の記事が載っていた。
そこでは、「はたして、われわれがそのすべてをちゃんと理解してものをいっているのか、といえば、答えは否である。じつのところ、なにもわかってはいないのである。わかっていないどころか、ますますわからなくなっているのである。」 とある。

「健康診断で胃のエックス線検査をすれば4ミリシーベルト、CT検査になると7ミリシーベルトだから、やたらに放射線検査をするな、という論者がいる半面、いや、そのくらいならだいじょうぶ、それよりも病気の早期発見のほうが重要だ、という医師もいる。」

「そんなめんどうで不可解なことがくりかえされて、それでどうなるのかといえば「直ちに影響はない」という。だいじょうぶだ、という。(中略)将来どうなるのか、と問いただすと前例のないことだからわからないという。それなら、さいしょから説をなすことじたいが無意味である。」

正しいことを知らないと、決められない。
しかしそれは、『正しい情報を得ることができる』 ことが前提となる。
最初から、正しいかどうかがわからない情報しか得ることができないのなら…?

または、先述の店員のように、「B社が絶対に優れている」 という観点から取り入れた情報は、最初から歪んでいやしないか。

原発も同じ。

原発推進派は、安全だ 大丈夫だ と情報を流すだろう。
または、原発がないと、電気が足りなくなる 生活できなくなると言うだろう。
原発の恩恵を受けているものは、危ないと知っていても「仕方ない」 というだろう。

もはや、そんな情報に意味はあるのだろうか。

実際に、原発が壊れ、放射能に怯えて暮らす人が、死に物狂いで原発内で働いている人が 存在する。
それだけで、十分なのではないか。

核のゴミの捨て場所も決まっていないのに、安全だ 大丈夫だ というのは、詭弁にすぎない。
そして、この事故が起こるまで、無関心であったあたし自身も 大きな責任を抱えていると気付いた。

日本が、脱原発の 核に頼らない政治の リーダーになるべき だと思う。

2011/03/26

こんな時 だからこそ

『こんな時に』『不謹慎』 という理由で、『自粛』されたイベントや会合はたくさんあったことでしょう…

きっと、それらを楽しみにしていた人たちは、「残念」 と思うと同時に、「仕方ない」 と納得したことでしょう

地震が起こったことは、どうすることもできないこと。
自然に抗うことはできないのですから…

甚大な被害を聞く度、ひとことでは言い表せない感情が、ぐっとこみ上げてきます。
何かをしなければ! という気持ちも激しく突き上げてきます。

だからこそ、こんな時だからこそ、被害を受けていないあたしたちがするべきことはたくさんあるのだと思います

これから必要なのは、数十兆円単位のお金です
様々なことを自粛し、経済活動が落ち込んだら、ただでさえ不景気なのに、被災地に金銭的支援ができなくなります
被害を受けていないあたしたちまでしょぼくれていたら、助けるにも助けられない

きっと、街を作り上げるには、少し時間がかかるでしょう
そのためには、長いスパンで考えていかなければなりません
今 心を痛めているだけでは、流行で終わってしまう。

今回、献血に行った人は、半年後も献血すること。
お金・物資を寄付した人は、それがきちんと役立っているのか 動向を知ること。
大切なものをどうやったら守れるのか、みんなで考えること。個人・コミュニティ・国家レベルで。

元気があれば 何でもできる!
元気がない人に、力を与えられるのは、元気な人だと思います
自粛ムードなんて吹っ飛ばして、集めたお金を新たな街づくりに使うべきです!

2009/12/19

死刑制度

忙しくて、テレビも新聞も読んでいなかった間に、注目された事件の判決が出ていたのですね。

死刑制度には、賛否両論あって当然。
人の命の問題なので…。
あまりblogに、批判承知のことを書きたくはないのですが、今回は思うところもあったので、書き留めておきます。

あたしは、死刑という制度はあって良いと考えています。
これだけ人間がいる中、あらゆる方法を取っても更生不可能な人間もいるはず。
そのような人間が、刑務所から社会に戻り、また罪を犯すのであれば、死刑も止むなし と思うのです。
だって、あたしたちの社会は、そういう者を排除することで成立するようにできているのですから。

ただし、矯正プログラムを体系化・刑務所の在り方の見直し・出所後の再犯防止システムの構築…をしてこその、死刑制度。
罪を犯した者と同じ人間として、議論を尽くし、システムを作る必要はあるでしょう。

で、今回の判決ですが…
彼は本当に『完全勝利』 などと思っているのでしょうか。
人生というものに絶望し、犯罪者として注目されているから、そういう人間を究極に演じているのではないでしょうか…?

もしも、本当に本当に そう思っているのなら、死刑で良い。仕方ない。
現在の議論の主流は、そんな人間にまんまと死刑判決をしては、罰にならないではないか ということ。
でも、死刑制度の目的は、罰を与えることではなくて、社会を守るためではないのでしょうか。
そうだとすると、例え死刑判決が彼の思惑通りであったとしても、更生を望めない人間が生きていくことができない社会である限り、死刑にするべきなのだ と考えます。
だって、そんな人間を出所させて、じゃあ何処に行く? という話ですよ。
また犯罪を起こすかも? という危険を抱えながら、社会生活をさせるのでしょうか。
それとも、一生精神科の閉鎖病棟?

社会の矛盾を解決するのは、やはり終身刑の創設だろうな と思います。
犯罪者は怖い。
死刑制度はいけない。
それは社会の矛盾だと思うのです。

彼は、人生に意味がないと感じ、でも自殺はできないから死刑になりたい という。
あたしも、うつを患った時、生きていたくなくて、でも自殺は怖くて、誰か殺してくれないかなぁ と考えていました。
(今はすっかり良くなってますので、ご安心を!)
でも、あたしは人を殺すことは選ばなかった。

何がそれを分かつのか。
あたしたちは、それを考えなければならないと思います。

2009/09/23

何か 変だなぁ。

今日、たまたま見ていた『THE NEWS』 という番組。
その中で、「子どもにトイレ掃除をさせるべきか?」 という話題が取り上げられていました。

視聴者に意見を募り、YesかNo をパーセンテージにしてまとめる というコーナーです。

要するに、学校でトイレ掃除を児童生徒にさせるべきか否か ということなんだけれどね。
ていうか…あたしには、そもそも この質問の意味がわからなくてですね…(笑
こういう質問が報道番組で話題になるということは、実際に教育現場では こういうことが議論になっているということなんでしょうか???
自分たちが使って汚したところを、自分たちが掃除する という、あたしにとっての常識は、既に世の中ではそうではない と…!!??

結構 この質問で衝撃を受けてしまって。。。(笑
混乱中。

逆に言えば、何で掃除をさせない方がいいという話になるの? と不思議なわけ。
で、番組で紹介された視聴者の意見。
「感染症も心配だし、学校でやらなくても 家庭ですればいい」

出たよ!
絶対言うと思った ウイルスや細菌のせいにするってやつ。
目に見えないやつらのせいにしていたら 安心だもんね。。。

大体ね、ウイルスや細菌のことを理解していない輩がそういうこと言い出すんだよ。
便器に触れていなくたって、手をろくすぽ洗わないで そこら辺触ったら同じだっつーの。

衛生上心配だというのなら、どのようにしたら衛生上問題なくトイレ掃除が行えるか? ということを議論すべきであって、トイレ掃除をするしない の話にはならないはず。
これまで学校のトイレを掃除して、貴方はお腹を壊したことがありますか? と問いたい(笑

もしも、「学校のトイレはきれいに保って欲しい」 と言いながら、「子どもにトイレ掃除はさせないで欲しい」 という人間がいるのなら、それはどうかしているとしか言いようがないっスね。
自分たちの排泄物で汚したトイレを、自分たちで掃除しないなら、誰かがその汚れたトイレを磨いているはず。
自分たちや自分たちの子どもが汚れなければ、それでいいと思っているなら 末期ですわ。

ていうか、児童生徒が掃除をしなければ、誰がするの?
教員?
まさか 業者じゃないよね…。

こういう質問ってさ、質問の趣旨を理解してこその回答だと思うんだけど、
どうしてこういう質問をしているのかが、本気でわからないので、あたしはこの議論に参加できないな。

ボンズの学校がこんなんだったら、本当にいやだーーーーー!!!

2007/08/15

どうしてだろう?

毎年 この時期になると考えること。

どうして、戦争をする人たちがいるんだろう?

みんな 食べるものに困ったり、家族や友達や自分が殺されたり、毎日泣いて暮らしたり、そんなの嫌だ と思っているのに、どうしてだろう?

いろんな歴史や、いろんな信条が世の中にあることは知っているけれど、純粋に疑問なのです。

あたしは自分が自分でなくなることや、大切な人たちを失うことは、恐ろしくてなりません。
みんな 「火垂るの墓」 を見て涙するのに、憲法改正はよしとする?

純粋に 疑問なのです。

2006/02/04

密着!こども病院24時

このテの番組、スッサンしてからよく見てしまいます。
今日は、旦那が遊びに逝ったので、ボンズとふたりでテレビ見ながら涙しました。

大学での専攻が、障害児福祉だったので、病気や障害を抱えた子どもとお母さんを 少しは知っていますが・・・
子どもを産んで、あたしは その生活の苦しみや切なさや絶望や、希望や将来や人生設計の、ほんの少しの上っ面しか見てこなかったのだなぁ と感じています。
その家族の生活は、自分が接していない時間にも、ずっとずっと続いているんだから。

そして。
男だとか 女だとか、母乳だとか ミルクだとか、歩くのが早かろうが 遅かろうが、言葉が早かろうが 遅かろうが、偏差値が高かろうが 低かろうが、
そんなことは、生きていくのにさほど重要なことではないということ。
心身共に健康で、自分の食い扶持を 自分で何とかしていける力があれば、それ以上望むのは 贅沢というもの。

番組を見て思ったこと。
あたしの臍帯血、捨てられちゃったんだよね。
使って下さい って、申し込みしていたんだけど、連休中にスッサンだったから、取ることが出来なかったの。
でもさぁ、患者には休みもクソもないわけだよね。
もしかしたら、誰かに移植出来たのかもしれない と思うと、残念でなりません。
年中無休に してくれよ。

2005/11/12

少年犯罪とおとなの役割

次から次へと、よくもまぁ 少年犯罪が起こるもんだ。

東京で殺されてしまった女子高生。
彼氏かなんかとモメて刺されたんでしょ・・・とか思ってたけど、案の定 犯人は「少年」。

このテの事件が起こるたび、思うことがある。
周りのおとなについてだ。

まずね、この「少年」の母親!
返り血で染まった制服をクリーニングに出し、学校に息子と一緒に登校して 制服で登校しない許可をもらいに行ったそうで。

あのですね。
人を50箇所も刺して浴びた血だよ。
自分の息子は、手に傷を作って帰ってきてるんだよ。
何で「自転車で転んだ」 っていう言い分を信用するんだよ。
手からそれだけの血が出ますか!?
フツーの感覚だったら、「何かがあった」 って思うだろ。まさか人を刺してきた とは思わなくても。

次は、刺された女子高生の家の近所に住んでた人たち。
叫び声や、ドタンバタンという音を聞いていたそうだ。
何で、誰も通報しないのかなぁ。
変だと思うだろうよ。刺されてる声だよ?

先日の毒殺未遂娘も、「あいつがやったんじゃないか」 って、家族が警察に相談したんでしょ。
何で、そんな「オカシイ」 と思う人間をほっておくんだよ。
児童相談所とか、病院とか、然るべき場所に相談するべきじゃなかったの?

もう、当たり前のように少年による凶悪犯罪が起こっていて、何の事件か忘れちゃったんだけど・・・
「特に変わった様子もない普通の子だった」 と家族が言っていたけれど、大きな犯罪を起こしてしまった。
だけど、その後の報道を聞くと、夕食は自分の部屋で取るような生活をしていたそうだ。
それは、普通じゃないでしょ?
ごはんは、家族で食卓でとるものでしょうが。

子どもがおかしくなってるんじゃないんだよ。
おとなが子どもを教育できないでいるんじゃないのかな。
毎日のように、くだらない犯罪が新聞を賑わしてるものね。

自分の子さえ良ければいい という時代はとっくに終わったと思う。
地域も学校も、模索中ではあると思うけれど。
一番変わらなければならないのは、親の意識だ。
みんなの子どもが、自分の子どもと繋がっていて、将来に繋がっている と、認識しなければ。

それを形にしていくことは、とっても難しいことだけれど・・・。

平等 ってなにさ。

うちで取っている新聞に、少子化の特集記事があったの。
何回か連載になっていて、毎日興味深く読んでおりました。

その中で、「専業主婦から見た保育所」 みたいな内容があって、
それってどーなの? と思ったので、書き留めておきます。

その記事で紹介されていた専業主婦の意見として、
「専業主婦だから保育園のサービスを受けられないのは、不平等だ。入所基準を変更すべき」(要約)
といったことがあったのです。
要するに、仕事を持つ母親は 約70万円のサービスを受け取っているわけ(札幌市)。
専業主婦だから という理由で、申し込みが出来なかったり 待機させられるのは、不平等なので 保育所の入所基準を変更するべきだ というもの。

保育所というところは、厚生労働省が管轄する「児童福祉施設」なんです。
だから、一応入所するには理由が必要なわけで、それは「保育に欠けている」 ということ。
専業主婦であっても、病気をしていたり 介護をしていたりと、子どもを保育できなければ、保育所を利用することが出来ます。

一体、「平等」「公平」ってなんだろう?
みんなが 全く同じサービスを 同じ量受け取ることが出来る社会は、果たして「平等」なのだろうか。

社会には色んな人がいる。
たくさんお金を持っている人・全くお金がない人・仕事をしてお金を稼いでいる人・失業している人・健康な人・病気をしている人・年を取っている人・生まれたばかりの人・・・
この人たちに 全く同じニーズがあるだろうか。
みんなが同じサービスを 同じ量必要だろうか。

必要のないところを減らし、必要なところに充てる。
持っているところから取り、持たざるところに充てる。
これが社会的な平等ではないのかな?

この記事の場合を考えてみる。
焦点を当てるべきなのは、保育所以外に利用できる公的なサービスの量に疑問を投げかけるべきであって、保育所の入所要件自体に文句を言うのは如何なものか ということなのよね。
待機児童がわんさかいて、仕事をしていても 平気で待機・・・という現状がある中、「専業主婦であっても保育園を利用出来るようにすべき!」 という意見は現実的でない。
それよりも、認可保育園の一時保育の利用枠をきっちり確保するとか、民間サービスに補助金を出すだとか、そういう「棲み分け」 は必要なのではないかな・・・と思うんだけど。

この記事には、ちょっと辛辣な意見も紹介されていて、
「配偶者控除などを受けていながら、不平等だというのなら、きちんと税金を払うべきだ」 と・・・。
まぁ、これも一理あるような気がするけど(笑)、彼女らの言いたいことはそういうことじゃないと思うんだよね。

彼女らは、「保育所を利用したい」 のではなく、国が掲げる「少子化対策」 と、自分の置かれている「子育ての現実」 に、大きな不満とギャップを抱えているだけではないのだろうか。
頑張っていても、誰にも褒めてもらえず 助けてももらえず。
子どもの成長と、配偶者控除などという 目に見えない恩恵しか受けられていないのではないのかな。

オンナコドモトシヨリショウガイシャ・・・
弱い者ばかりが 馬鹿を見る社会にだけは、なって欲しくないな と切に願っています。

2005/11/02

障害者自立支援法

改造内閣ー とか世間が騒いでいる間に、通っちゃいけない法案が可決致しました。するりと。
「障害者自立支援法」 です。

新聞の扱いは、随分と小さかったです。
ニュースでは 殆ど取り上げていなかった。内閣の特番で忙しかったんだよね。
マスコミが取り上げなければ、国民は どんなに危険な法律が可決したのか ということがわからないまま施行されてしまうと思います。

この法律の大きな柱はふたつ。
ひとつめは、現在別の法律で運営されている 障害者福祉サービス(知的・身体・精神)を、一元化しようというもの。
ふたつめは、サービスを受ける人たちに、サービスを受けた分の1割負担してもらおうというもの。

このふたつめが曲者なのです。
この内容のお陰で、障害者団体が大きな反対運動を起こしていました。
何故なら、障害を持った人たちに、1割負担はキツすぎるからです。払えないからです。

現在は、所得に応じた負担金です。
所得といっても、多くの障害を持った方たちの収入の多くは「障害基礎年金」 です。
多くて 月額\82758(1級)、そうじゃなければ \66208(2級)。
これにプラスして、生活保護を受給したり、授産施設や小規模作業所・民間企業で働いた分の給与がある方もいます。
といっても、たかが知れている額です。
年間10万円未満の就労収入人口が、7割というデータもあります。

そんな反対の声に対して、政府はこのような救済制度を盛り込んでいます。

・ 生活保護世帯の方→ \0
・ 市町村民税非課税世帯で障害基礎年金2級(月\6.6万)のみ受給の方→ \15000
・ 市町村民税非課税世帯の方→ \24600
・ 市町村民税課税世帯の方→ \40200

フツーに考えて、\66208 しかもらってない人が、\15000 支払ったらどーなると思います???
それで、自立した生活が出来ると思いますか?
好きなものを食べて、好きな服を着て、好きな場所に行くことが出来ますか?

「全て国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(憲法25条①)
「健康」に生きるためには、サービスを受けなければなりません。
この法律が施行されたなら、トイレに行くにも 御飯を食べるにも 着替えをするにも 外出するにも、お金が掛かります。
生きるために、「文化的な」生活を捨てなければならないことになりかねないのです。
本1冊・CD1枚 買うのを我慢することになるのでは?
むしろ、「最低限度の生活」すら 危険になってくるわけです。
この法律こそ、明らかに憲法違反なのではないでしょうか。

こんなことになったのは、国の財政が逼迫しているからです。
かといって、こんな所からお金を取るのは、果たして「平等」 といえるのでしょうか。

でも、可決されてしまったのは、きっと障害がないあたしたちのせいでもあるのではないか・・・と思っているのです。
障害がある人は、自分の生活には関係ない存在であり、フツーの生活など出来ない・望んでいない、と思っちゃいませんか?

政府が、増税・年金問題・少子化対策・・・と 次々と投げかけられる難問に囚われ、自分には無関係であると思い込んでいる 社会的弱者から逃れようとしてはいませんか?

障害者問題は、いつも自分のすぐそばにあると思います。
交通事故・アルツハイマー・様々な疾病・・・
自分や家族が、障害を持つことなど 容易にあり得ることなのですから。

☆此処ら辺の事情に詳しい人が たくさん読んでいそうなので・・・(笑)。それ違うよ! ってとこがあったら教えてください 汗